ピアノ調律師は知っている。鍵盤が重い、そのほんとうの理由とは?(後編)

KATOおんがくクラブ

KATOおんがくクラブ
(愛知県名古屋市)
 東條さん

前回の続き、ピアノの鍵盤が重くなるケースです。

前回のケースは、ある意味、想定内の話でした。でも、今回のケースは違います。

結末は、意外な方向へと……。


ある小学校低学年のお嬢さん宅のお話です。私が定期的に調律にお伺いしています。

そこでは、お母様が子供時代に使っていたピアノを、お嬢さんが今使っています。

ずっと使ってなかったピアノですが、お嬢さんがピアノを習いはじめるとき、ご実家から今のマンションに移したのです。

調律に伺ったとき、10年以上ブランクがあったため、最初はなかなか音程が安定しませんでした。でも、数度の調律や、新しいお宅での気候の変化などにも馴染んでいき、すっかり現役の音色を取り戻しました。

ところが……。

そのいい状態のはずのピアノ、最近重くて弾きにくいと、お嬢さんが言うらしいのです。レッスンの先生のところで弾くピアノよりも、うちのが弾きにくい、と。

お母様も、なぜそうなのかいまひとつわからない。

というのは、お母様は子供時代、このピアノでずっと習っていましたし、自分では、とくに弾きにくいとは感じないから。

お母様も、いろいろ推測をめぐらします。

「もしかしたら、ウチのピアノは、錘(オモリ)が鍵盤についているのでは?」

お母様の子供時代、調律をしてもらっているときには、自分は学校に行っていて留守でしたから、仕事内容なんてわかりません。当時、調律師の話をきいていたであろうお祖母さまも、もう覚えていないとのこと。

だから推測するしかないのです。

当時習っていた先生に、鍵盤に錘をつけたら訓練になると聞いたことがあったので、もしかしたら?とおもったのだそうです。

でも、以前、私が見た限り、内部にはそういった後付の錘などは装着されていませんでした。過去の調律作業カードにも、そういった情報は特に記載されていない。

また、弾きごこちは、重すぎず軽すぎず、ちょうどいい程度のタッチに調整してあります。実際、他のお宅のピアノに比べて格別重いということもありません。

お母様も、ご自分が弾いた感じでは、弾きやすいと思われるそうなのです。


そこで、実際に見せていただくことになりました。こういう場合、伺うお時間は、お嬢さんのご在宅の日がよいのです。

しかし、お母さまが、なかなかお忙しいよう。

お嬢さんもいっしょにというのがかなわなかったので、まずは、お母さまのご都合のいい日にうかがいました。

鍵盤を触ってみたんですが、格別重くは感じない。お母さまに座って弾いていただいても、やはり特に弾きにくくはないという。

ここは、≪金田一少年の事件簿≫の主人公、金田一一のような推理力が必要。

「う~ん、・・・なんだろう。」

「金田一耕助(ジッチャン)の名にかけて……。」

こんなセリフを、呪文のようにとなえつつ、1つ、また1つ、原因になりそうなものを、チェックしていきます。

考えること、数分。

「あっ、そうか!」

「イスだ。」

このピアノに備え付けられたイスは、ピアノを買ったときにセットでついてきたもの。

お母様も子供時代からずっと使ってきて、ちょっと古くなっているけど、カバーなどをかけて、見た目に古さが目立たないよう工夫してつかっている。

でも、そのイスが問題。

じつは、高さが固定されているため、高さを変えられないイスだったのです。

最近のピアノにセットされるイスは、たいてい可動式のダイヤルなどで高さを変えられますが、昔は一時期、そういう高さの変わらないイスがセットされていたこともあります。

お母様や私にはちょうどいい高さのイスですが、お嬢さんには低いかもしれない。

念のために、お嬢さんの身長をお聞きしました。120cmそこそこ、とのこと。

つまり、大人と比べたら、30cm以上小さいのです。単純計算すれば、腰掛けた上体は、大人よりも15cmは低くなるはず。だから、鍵盤に構えた手首も、おのずと大人よりも低くなっているはず。


こういう場合、解決法はカンタン。

イスの高さを直すだけ。

お子様が弾いている姿勢をご家族が横から見たとき 手首や腕が鍵盤面よりも下がっていませんか?

小さいお子様は地面に足が届きやすいのを好むため、可動式のイスでもついつい低くしてしまいます。


しかし、それでは腕や体重が全く活かされていないため、f(フォルテ)など強く弾きたい表現では、手首の力だけで弾かなくてはなりません。

結果的に、手首ばかりに負荷がかかり、普通の調整のピアノでも、重たく感じてしまうのです。

ピアノの構え方のフォームは、手首から肘のラインが、地面に水平になるあたりが弾きやすいと言われています。(足が地面につかないことで全身がフラフラ落ち着かない場合は、 足置き台などを使ってください。)

ですから、このフォームをとらないと、力のないお子さんは、違和感がでやすいのです。

お嬢さんが「弾きにくい」といいだしたのは、最近なんだそうです。

お母様に、「今どんな曲を練習なさっていますか?」と尋ねてみると、出してくださった楽譜は、「チョップスティック」。

カンタンで、軽快なかわいらしい小曲ですが、全体的にスタッカートの連発です。低い手首のフォームでは、さぞかし大変な動きになっていることでしょう。

そこで、お母さまに事情をご説明し、可動式で高さを変えられるイスにしたほうが、おそらく弾きやすくなるとお話しました。

とりあえず、私の手持ちのいくつかの中から、可動式で高さを変えられるイスをお貸ししました。

その夜、お電話でお母様に様子をお聞きしました。

私がお話してきた注意点を確認しながら、お嬢さんの背丈に合わせてそのイスの高さを変えたところ、「軽くなって、弾きやすくなった」と、すぐにお嬢さんが言ったそうです。

お母様、かなり驚きのご様子。

疲れないので、お嬢さんは何時間も弾いてしまう。いままでよりピアノが楽しくなったと喜んでいるようです。

後日、お嬢さんとお母様の気に入ったイスを納品しました。

その後、毎年伺った際にお聞きするんですが、「重くて弾きにくい」というご不満は、全くなくなったようです。


小さいころから、姿勢よく弾くことは、大切です。

弾きやすくなって練習もはかどるため、長続きする秘訣のひとつでもあります。

お子様が、「鍵盤が重くて弾きにくい」といったら、一度確認してあげてください。

それは、ピアノが原因ではなく、イスかもしれませんよ。

これは、意外な盲点なんです。

【 今回の記事の執筆者 】
KATOおんがくクラブ

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(愛知県名古屋市)
 東條さん



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