ピアノ調律をたのむ時によくある誤解とは?

この記事では、いま活躍中の現役ピアノ調律師さんに「ピアノ調律をたのむ時によくある誤解」について聞いてみました。調律時のトラブルをさけるために、ぜひお読みください。

ピアノ調律をたのむ時によくある誤解とは?

谷口ピアノ調律事務所

谷口ピアノ調律事務所
(愛知県豊田市)
 谷口さん

私たち調律師は、基本的にお客様からメールや電話により調律の依頼が入ることで、お客様との関係が始まります。

そして、実際にうかがう前から、状態をいろいろ想像します。

  • そのピアノは調律だけでよいのか。
  • 音色を良くする必要がありそうなのか。
  • メンテナンスはするのか。
  • いったいどれが必要なのだろうか。

ピアノは、調律だけでは良くなりません。調律を行えばピアノが長持ちすると思われている方もたまにいらっしゃいますが、それは誤解です。

調律と保守点検は別のものです。

私たち調律師は「ピアノ調律」という言葉を含みのあるものとして受け取っています。その言葉から、調律以外の様々な作業も含めた可能性を考えているのです。

もし鍵盤などの機構の状態が悪い、あるいは音色が悪い時、調律は後回しにして、その場ではあえてしないことがあります。

結果として、ピアノ全体のパフォーマンスが良くなることがあるのです。

しかし、お客様によっては、調律だけだと言ったのに、なぜ他のことをするのだ、と気分を害される場合もあります。


「調律をする」と「ピアノを良くする」とはまったく意味が違う

「ピアノ調律」という言葉には、含みがあると申し上げましたが、いろいろ意味を詰め込みすぎていて、不明瞭な言葉になっているとも言えますね。

例えば、「調律をする」と「ピアノを良くする」とはまったく意味が違います。

調律は音合わせですが、ピアノを良くするとは、鍵盤やハンマーの調整、メンテナンスなど機構やパフォーマンスに関わるものです。

私自身は、ピアノを良くするほうにチャレンジしています。調律は、料理でいえば、塩、胡椒の味付け程度。最後の仕上げという位置づけです。

調律から調整、メンテナンスを含めたピアノ全体を良くするための手順というものが、実はあります。

まずは、掃除、サビ取り。それをやらないと始まりません。それだけで、音色が変わります。

次に、機構のチェック、つまり機械の動きが正常かどうかをチェックし、問題があれば直すことが大切です。

以降は私が考える手順ですが、最低限のタッチの調性、最低限の音色の調性、最低限の調律。

その次にタッチの調性。次に調律。最後に、音色の調整。一般的に言っても、調律は最後の仕上げなります。


消音機能オンで弾くだけなら、調律の必要はない

以前伺った実際のお客様で、調律の依頼だったのですが、それとはまったく別のことをして大満足されたことがありました。

マンション住まいで、30代の大人の女性の方。消音機能付きピアノ(サイレントピアノ)でした。

とても良いお部屋でしたが、ピアノを弾くにはちょっと狭いかんじです。

もともとやや神経質なタイプの方のようでしたが、夜勤があって神経を使うお仕事だったようです。

ピアノの音がうるさく感じられ、耐えられなかったようです。

ピアノは癒やしで弾きたいのにそのせいで癒やされない、ピアノが好きでも生ピアノが弾けないという、なんとも悲しい状況でした。

それでしかたなく、消音機能オン(これによって生音は消され、代わりにデジタル音になる)の状態でしかピアノを弾かなくなったそうです。

とにかく、生音がうるさく感じられるからとのことでした。

それを聞いた私は、「消音機能オンで弾くだけなら、調律の必要はありませね」と、まず申し上げました(笑)

消音機能オンにした場合はデジタル音となり、ハンマーが弦を叩かなくなります。よって弦の音合わせは必要がなくなるからです。

実際に、消音機能オンで弾かれていたので、調律は狂っていなかった(笑)

そんなことで、三時間、すべて音色の調性をさせていただきました。

耳障りのない音色へ変更した結果、幸いたいへん喜んでいただくことができました。

それ以来、消音装置をオフにし、生ピアノに切り替えられたそうです。


本来「調律」は、文字通り音律を正確に調整する意味でしかない

ピアノの森・調律工房

ピアノの森・調律工房
(埼玉県さいたま市浦和区)
 森さん

ユーザーの方が、次のように思い込まれているケースはわりとあります。

  • 「調律(音を正確に合わせる)」=「弾き心地が良くなる」

実は、調律師の中でも、まだまだこのケースがあると思います。

ですが、本来「調律」は、文字通り音律を正確に調整する意味でしかありません。一方で、「音を作る」というもっと広い観点があります。

音を正確に合わせる調律という概念は、「音を作る」という広い観点から見れば、その一部分に過ぎません。

柔らかい音、硬い音、透き通るような音、少し霞がかかった音、迫力のある音、教会のような音、これらはすべて音合わせの調律だけでは実現できません。

1台のピアノを調律するのは、けっこう大変なことで、最低でも学校などで二年間の勉強は必要です。

そして、音や弾き心地を良くするために、プラスアルファの調整を習得するには、さらに長い年月と経験が必要です。

経験豊富な調律師は、正確に音律を合わせる以外に、こういった音作りの引き出しも多いのがふつうです。


「音を良くしてほしい」「弾き心地を良くしてほしい」は誤解を含みやすい

まめたろうピアノ調律

まめたろうピアノ調律
(北海道岩見沢市)
 石川さん

最初に伺った際、お客様からは、とりあえず音を良くしてください、とよく言われます。

その時、お客様の頭の中では、

  • <音を良くする = ピアノを良くする>

という公式が成り立っているように感じます。でも、私たち調律師はそうは考えません。

<ピアノを良くする>には別の意味があると知っているからです。

それは1つには、ピアノ本来の機能を回復させることです。

音を合わせたり良くする前に、そのピアノの機能、つまり、鍵盤やハンマーなどの機構に関する働きを、まず先に回復させたほうが良いと考える場合もあります。

どちらを優先するかはケースバイケースですが、音と機能の両面から考えています。そこの捉え方に、お客様とのギャップを感じることはあります。


修理をせずに、注意点だけお話したケース

以前、大学生になってまたピアノを再開したいというお客様宅へ伺ったことがありました。

音を良くしてください、というご希望でした。

ヤマハのアップライト。8年くらい調律をしない期間がありましたが、その前までは定期的に調律をされていたようです。

音は確かに狂ってはいましたが、それほど大きな狂いはありません。少し合わせれば、良くなりそうでした。

ただ、音以外に問題があったのです。

このピアノの鍵盤の機構には、ハンマーの根本にひっかけるバットスプリングコードという紐があります。これが劣化して、切れていたのです。

このスプリングコードがあることによって、鍵盤を押して手を話した時に、スムースに鍵盤を元の位置にもどすことができるのです。

もしこのスプリングコードがないと、鍵盤の戻りが標準より遅くなってしまいます。

ちなみに、このコードはアップライト特有で、グランドピアノのように重力でハンマーが自然に元の位置にもどる機構では必要ないものです。

私としては、音よりも機能に関わるこのスプリングコードの劣化が気になり、優先すべきことだと考えました。

しかし、その時はその修理は見送りになりました。

もっとも、そのコードが切れているからといって、まったく弾けないかというというと、そうでもありません。

切れた状態でも、ある程度弾くことができ、音も鳴るのです。

ただ、本来の性能は発揮されていないので、ピアノ教室のピアノとは違って鍵盤の反応に違和感を覚えるなど、長い目でみてテクニック習得に好ましくない影響を与えるように思います。

また機能面でいえば、そのままにしておくと、まれに隣のハンマーにひっかかってしまって音が鳴らなくなることがあります。

そのお客様には、そういった注意点についてお話だけはしておきました。


調律だけで鍵盤が軽く感じられるケース

それから、別のお客様ですが、これも誤解を生みやすい例かもしれません。

最初に伺った時に、鍵盤がすごくモコモコするので、なんとかしてほしいと言われました。どうやら、鍵盤のタッチの改善を望まれていたようなのです。

でも、その時に私はあえて鍵盤の機構には触りませんでした。その代わりに、音がとても下がっていたので、調律でぐっと上げたのです。

その後作業確認の際、お客様がびっくりしたように「すごく軽くなりました!」とおっしゃいました。加えて、「鍵盤の機械もさわったのですか?」と……。

実は、調律だけで鍵盤が軽く感じられることもあります。

ただ、それはこのケースもそうなのですが、20,30年調律の空白がある場合に限ります。

ネットも含めて一般的な情報によれば、弾き心地を良くするには、整調(鍵盤の機構の調整)が必要、と説明されます。

しかし実際は、現場に伺ってそのピアノを見てみないと、それが適切かどうかはっきり判断できないこともあります。


「タッチの改善=整調」のように単純ではない

ピアノの森・調律工房

ピアノの森・調律工房
(埼玉県さいたま市浦和区)
 森さん

  • <タッチの改善 = 整調>

整調とは、鍵盤からハンマーまでの機械的な動きを整える作業を主に言います。

この方程式は一般的によく言われることで、簡単に説明する場合によく使われるものです。

そのため、この方程式が絶対的に正しいと思いこまれているユーザーの方は、まだまだ多いように感じます。

ところが、この方程式だと、実際は単純すぎて使えません。

もちろん状態にもよりますが、醜くなければ実は整調をしたところで、タッチの感じはそれほど変わるものではないと考えています。

本当は、ハンマーを整形して音色を整える整音を行うほうが効果が大きいと考えますが、それも含めてタッチの改善は総合的に検討する必要があるものなのです。

そこは人間の感覚の不思議なところで、五感を使うからだと思います。

音の感じ方が、タッチの感覚に影響しているのです。つまり、聴覚が触覚に影響している。

そうであれば、整音という音色の改善が弾き心地に影響を及ぼすのは、とても自然なことだと思うのです。


調律について誤解が生まれる原因とは?

谷口ピアノ調律事務所

谷口ピアノ調律事務所
(愛知県豊田市)
 谷口さん

私は最初に、「ピアノ調律」という言葉には、含みがあると申し上げました。その言葉にいろいろ意味を詰め込みすぎていて、不明瞭な言葉になっている。

「調律をする」と「ピアノを良くする」とはまったく意味が違うこともお伝えしました。

こういった基本的な認識について、ユーザーの方々が混同されている状況、もっと言えば今まできちんと伝えられていなかった点に、問題があると思っています。

それが、派生する様々な誤解を生んでいるのではないかと思います。なぜそうなってしまったかについて、いろいろ思うことはあります。

業界から送られる「調律を定期的にしましょう!」というユーザーさんに対する強いメッセージがあります。

なぜそのようなメッセージを送り続けるのかについて考えることは、とても意味があると思います。そのメッセージに、その原因と背景が集約されているからです。

日本の調律学校では、最優先に習うのが調律です。調律学校だから当たり前でしょうと思われるかもしれませんが、実際はそれ以外にピアノについて学ぶべきことは山ほどあります。

それなのに、なぜ調律だけを優先するのか。それは、日本の高度成長期にとにかくたくさんピアノが売れていく中で、短期間に急いで調律師を要請する効率的なシステムを作らざるを得なかったからだと思います。

卒業してすぐは、実際は調律しかできない人が多いのです。ピアノの構造から理解している人なんて、ほとんどいないというのが実際のところです。


日本とドイツのピアノ技術者養成システムの違い

一方で、ドイツのピアノ技術者養成システムがあります。これと比較すると、日本の場合いかにあわてて調律要員だけを育てていったのか、その特徴がよくわかります。

ドイツの場合、調律師になるために6年間じっくり勉強します。その期間に、木工から教えられ、椅子を作ったりします。

ピアノの構造、そして原価や会計など経営に関わること、それから実際の工場やピアノメーカーでピアノ製作を学びます。だから、日本のように調律だけできたらおしまいということにはならない。

とにかく日本の場合、時代から急いで求められたこともあって、調律、調律できてしまった。そして、それがいちばん大事だという認識を、日本の市場やユーザーの方々に広めることになってしまったと考えています。それが「調律しましょう!」のメッセージに象徴的に現れていると思います。

その結果だと思うのですが、弾く方の側も、せっかく高価で良い性能のピアノ買っても、音色を変えられるという意識をもってないことが多いと感じます。業界全体でトップレベルのピアニストに質の良いピアノを販売してきました。

しかし、すべてとは言いませんが、まだまだそういった方々のピアノや音色に対する意識も成熟しているとは言い難いところがあると思います。

今までは、とにかく大急ぎでピアノの販売から調律までのしくみを整え、日本全国でピアノを習う人を増やしてきました。そのこと自体は、とても良いことだと思います。

そして、もともとなかったピアノ文化を根付かせるプロセスとして、日本が通る道でもありました。しかし、過去の業界システムが今や制度疲労を起こし、それによる弊害が今になってたくさん噴出してきているのです。

それによるお客様の不満も、本当に増えています。さきほど申し上げた音色に対する意識もそうですが、いま問題にしているピアノの基本的な調整に対するユーザーの方の誤解も、その大きな弊害の1つだと私は考えます。

もしドイツのようなシステムで教育された調律師がいて、お客様に対して音色、タッチ、弾き心地がよくなる提案をどんどん積極的にするような状況だったとしらどうでしょうか?

弾き手であるお客様の感性ももっと高まったはずです。その要求が高まれば、逆にメーカーのピアノの品質ももっと向上したでしょう。

かく言う私自身も、大規模な修理を1人ではできません。でも、若い調律師の方は、工場などで修行をすることで力をつけたりして、これからは変わっていくかもしれません。そこには、期待したいですね。

調律をすればピアノが良くなる、と誤解させた真犯人は、実は過去の業界全体のシステムである。私はそのように考えています。


総合的な調整技術情報は、まだまだ広がっていない

ピアノの森・調律工房

ピアノの森・調律工房
(埼玉県さいたま市浦和区)
 森さん

例えば、先ほどお話した音とタッチに関することですが、まだまだこのような総合的な調整技術は、今のようなネット情報社会でさえまだまだ広がっていません。

自信を持って音やタッチを調整できる、と言い切れるピアノ技術者が、まだまだ少ないのではと感じます。

そうなると、一般的な音やタッチに関する技術論が大勢を占めた状況になります。

それをユーザーの方々がご覧になってそのまま信じてしまうのは、やむを得ないのかなと……。

インターネットによって様々な情報が公開されていくのは、ユーザーさんと調律師にとって、基本的にはとても良いことだと思っています。

ただ、必ずしも本当に価値ある情報だけが拡散するとは限らない点については、ご注意いただきたいと思っています。

もっとも、いくら価値ある情報だとしても、絶対ではありません。

調律師にとっても、インターネットは個性を発揮しやすい世界ではありますが、一歩間違えると自己流に陥りかねない危険もはらんでいます。

私自身も本当に注意が必要ですが、100人中99人の方に同じ方法で満足していただけたとしても、1人の方だけにはご満足いただけない場合もあります。

もちろん、ユーザーの方々の貴重なご意見を真摯に汲み取って、自分の中の引き出しを日々増やし続けておりますが。


研究熱心なユーザーを調律師は心待ちにしている

谷口ピアノ調律事務所

谷口ピアノ調律事務所
(愛知県豊田市)
 谷口さん

誤解をさせてしまうのは、調律師の理解不足であったり、すでにお話したように業界全体の問題が大きいです。

でも、ホンネを言わせていただければ、弾き手の方にも、もっとピアノに興味を持っていただき、好きになってほしいのです。

そうやって、自然に知識をつけ、感性を養っていただければ最高です。そうなれば、基本的な誤解も今よりずっと少なくなると思います。

車が本当に好きな人は、よく自分で車を研究しています。車の業界は、そういった熱心なユーザーの意見を上手に取り込み、それにいっしょうけんめい応えようしました。そうやって相乗効果を産んだことから車業界は成功している、と私は思います。

日本の消費者は世界一品質にうるさいことで有名です。ピアノ業界とユーザーさんとの関係も、車業界のようにこれから共に発展していければ幸せだなと思っています。

ちょっと笑えない話があります。調査をしたところ、日本のユーザーは音の止まり方と雑音に世界一うるさいことがわかったそうです。

それにあるピアノメーカーが応えました。結果、豊かな音色というにはちょっと疑問符がつきそうなピアノができてしまった……。

誤解を少なくするため、豊かなピアノの音色があふれる日本にするため、ユーザーの方々のこれからの進化にとても期待をしています。



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