ピアノ調律師 インタビュー vol.1

  2008年3月 vol.1
Clear Sound Tsuchida (神奈川県)
土田 宏 氏
20年以上たつと、あんなに小さかったお嬢さんがお母さんになって、次の代までお付き合いできる。こんな仕事はそうないでしょう。

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全日本学生音楽コンクールピアノ部門本選で、最優秀に選ばれた彼。彼の高い要求にこたえることから、多くを学んだ。




●お仕事でなにか印象に残っているエピソードはありますか?


きりがないほどありますが、おもいつくままにいくつかお話してみます。

今から17、8年前、お客様の息子さんが、全日本学生音楽コンクール(毎日音楽コンクール)中学生ピアノ部門の本選で、最優秀に選ばれました。調律師をやっていてそういう方にめぐり合えるのは、本当に稀なことです。

彼は、小5の時にグランドピアノをつかっていました。当時すでに、タッチをこうして欲しい等々、自分の求めるものがはっきりしていました。彼の要求に応えるため、私も真剣でした。ヤマハのトップ技術者にいろいろアドバイスいただくこともたびたびあり、すごく勉強になりました。少しずつ、いい演奏家に育って行く彼。それを見守ることができるなんて、ほんとうに嬉しいものです。彼の成長と共に、わたしの技術や感性も磨かれていったように思います。

彼がウィーンに留学して大学院生だった頃、武者修行の意味で工具を持って尋ねました。彼がつかっていたのは古いべヒシュタインで、オーバーホールしてあるピアノでした。整調(鍵盤やアクションを調整し本来の性能を引き出したり、好みのタッチを作る)、調律、整音(ハンマーと弦の当りや、ハンマーに直接手を入れて発音や音色を整える)を施しました。とても味のあるいいピアノでした。

  97年
ウィーン留学生宅にて


彼には、3人の留学生仲間がいたんですが、それぞれのお宅でも同様に調律とメンテナンスを行い、皆さんすごく喜んでくれました。手作りランチを振舞ってくださったのですが、1人暮らしの長い皆さんの腕前は、なかなかのものでした。ピアノもカワイ2台、スタインウェイと、それぞれとても勉強になりました。


ウィーンの街並みは想像以上で、まるで別世界でした。クラシックのメロディーを自然に口ずさんでしまう。やっぱり音楽はTPOですね。日本人のピアニストは留学先に着いただけで音が変わる、と聞いた事がありますが、わかる気がします。



   
     
97年 ウィーンにて    


  97年
ウィーン郊外
ベートーベンのお墓にて

地元の人しか行かない細い路地を入ったレストラン等々、一味違った観光もできました。忘れえぬ旅となりました。その彼は、現在演奏家として活躍されています。


  97年
ウィーン
レストランにて




海外といえば、こんな出来事も印象深いです。

ある時期まで海外での仕事も考えていた私は、知人の紹介でカリフォルニアのあるピアノショップを尋ねました。とても広い店内は、アップライトピアノはもちろん、グランドピアノも同機種2~3台から選べるほど充実したものでした。湿気の少ない気候により、日本では聴けない乾いた良い音がします。ペダルもむき出しのままでずーっとピカピカです。調律師たちも、出身国がさまざまで、ヨーロッパ、アジア、日本人も1人いました。


 
91年 カリフォルニア・サンノゼ ピアノショップ

 
91年 カリフォルニア・サンノゼ ピアノショップ


技術レベルはさまざまで、店内のグランドピアノの整調をしていると、何人かの技術者が集まってきました。ほとんどグランドピアノはいじれないようで、専用工具も持ってない様子。日本である程度教育を受けた技術者なら、こちらで充分やっていけると確信しました。しかし、当時もグリーンカード(就労ビザ)はなかなか取れず、ついに渡米は断念しました。もし渡米していれば、全く違った人生があったかなあとおもいます。






テレビドラマの撮影で、俳優に調律師の演技指導をしたことも。




それから、こんなエピソードもありましたね、ちょっとミーハーですけども。(笑)

ここのところコミック原作のテレビドラマが多いのですが、TBS系で「きらきら研修医」というのがありました。何話かの撮影で、病院のロビーでコンサートを開くというシーンがあり、調律と演技指導の仕事が舞い込んできました。横浜の山下公園近くからベイブリッジに繋がる首都高速沿いに、ロケ先の大きな病院はありました。

お引き受けすることにはしましたが、調律はともかく、演技指導って?というかんじ。 加藤雅也扮する製薬会社の営業マンが、実は元調律師だったという設定です。まぁ、とにかくチャレンジということで、実際に実技指導をしたのでした。加藤さん、本当に濃い顔立ちで。

でも、残念ながら放送では、このシーンは全部カット。(笑)
調律師のちょの字も出てこず、がっかりです・・・

その病院のピアノは、寄贈されたもののようで、もともとそこにあった木目のグランドピアノ。ただ、かなり消耗していました。限られた時間の中、修理しながら調律というかんじで・・・  なかなかはかどらず、最高音部は調律できずじまい。そのあたりの音は使わないからとはいえ、少し悔いの残る結果でした。それでもめったにできない経験です。

出演者の小西さん、ウエンツ瑛士さん他、レギュラー陣の演技をまじかで見られて楽しかったですねー。ウエンツさんは自分の演技がうまく出来ず、観客からブーイングを受けるシーンを撮影。仕舞いにはトイレットペーパーや座布団が容赦なく飛んできます。そんなシーンを何度も撮るのですが、演技とはいえブーイングばかり受けていると、さすがに人間落ち込む様で、録画チェックしながらしきりにボヤいていました。

小西さんが弾くピアノの吹き替えをやったのが、私のお客様の音大生。わざとぎこちなく弾くのは、かえって難しかったようですよ。

まあ、ロケ弁をご馳走になったりと、ちょっとした遠足気分だったかな。








ギタリストの渡辺香津美さん、ジャズピアニストのハービー・ハンコックさん他、様々な音楽家と出会えるのも醍醐味。




●調律師をやっていてよかったと感じるのは、どんなときなんでしょうか?

これにもいろいろありますが、まず、ひと通り調律が仕上がって全体の試奏をした時でしょうね。

オクターブやユニゾンがきっちり決まっていると、天上から降り注ぐような豊かな響きに包まれます。まさに至福の時です。お客様にもわかっていただくと、さらに嬉しいですね。毎日美しい音、豊かな響きを聴けるなんて幸せです。

いろいろな方とお会い出来るのも楽しみの一つです。

同期生との再会も劇的でした。調律師の養成所を出て3~4年後、ギタリストの渡辺香津美さんのコンサートに行ったときのことです。ステージを横切るスタッフの影。「まさか・・・」あの猫背、小走りの感じ。もしやとおもいましたが、終了後、楽屋に行ってみると予感的中。養成所の同じ班で勉強していた沢井さんがいるではありませんか!

思わぬ再会に盛り上がり、なんと打ち上げに連れて行ってもらうことになりました。私はもう大興奮!香津美さんを始め、バイブ奏者のマイク・マイニエル他、ツアーメンバーが勢ぞろい。後に帝王マイルス・デイビスの晩年のアルバムをプロデュースした、ベースの若き天才マーカス・ミラーもいました。宴も終盤になると、一部のメンバーの飲みっぷりの凄まじいこと。日本酒の一気飲みを、ただ呆然と見守るだけでした。今でも鮮烈な思い出です。

その数年後でしたでしょうか、西部ライオンズ球場で大きなイベントがあり、遠くに住む友人も参加するとのことで会いに行くことにしました。アリーナ出入り口付近にいると向こうから数人のグループがやって来ます。なんとジャズ界の巨匠ハービー・ハンコック、ウエイン・ショーター他、そうそうたるジャズメン達!


  82年
西武球場にて

Piano: ハービー・ハンコック
Sax: ウェイン・ショーター
Bass: バスター・ウィリアムス




もっと驚いたのは、養成所同期の佐々木さんが、なぜかいっしょにいるではありませんか!またまたびっくりの約6年ぶりの再会でした。そこには仕事できていたとのことでした。特設ステージには、ヤマハのエレキグランド(80年代ジャズ、フュージョン、ポップスでよく使われたCPシリーズ)がありましたが、巨匠といっしょに仕事ができるなんて凄いことです。

皆さんたいへん気さくに相手をしてくだり、感激でした。我々若い二人に、ハンコックさんは暖かく包みこむように接してくださいました。「一流の人は、その人間性がすばらしい!」とおもい、ほんとうに感動の1日でした。生涯の思い出となりました。



  82年
西武球場にて

Piano: ハービー・ハンコック







20年以上たつと、あんなに小さかったお嬢さんがお母さんになって、次の代までお付き合いできる。こんな仕事はそうないでしょう。




それから、コンサートでのエピソードを一つ。

数年前、ピアニストの西村由紀江さんの時のこと。調律終了後、リハーサルで弾いてみて次高音の一音が、どうしても抜けてこないとの指摘がありました。ユニゾンをいじってみましたが、思うように行きません。ホール担当者立会いの下、アクションを引っ張り出し、その音のハンマーを軽くファイリング(ヤスリでフェルト面を軽く一皮剥く感じ)してやりました。

狙いどおり音も揃い、西村さんも満足してくださったようです。「明るい音ですね!」と喜んでくださいました。そのときは、ホット一安心でしたね。この本番前の緊張感、高揚感が、またたまらなかったりするんですよ。

つらつらとお話してきましたが、いつも様々なお宅に伺っていて、いちばんおもうことがあります。

20年以上も調律にお伺いしていると、あの頃あんなに小さかったお嬢さんが、やがて結婚してお母さんになる。そのお子さんがまたピアノで遊びはじめる。こうやって三世代にもわたって長いお付き合いができる仕事って、そうそうないですよね。そんなほほえましい様子を見ていると、調律師をやってきて本当に良かったなあとおもいます。







「一台のピアノをどこまで音楽的に仕上げられるか?」に、今は力点を移している。




●今取り組んでいることや、今後の抱負についてきかせてください

現在、重点を置いていることは、「一台のピアノをどこまで音楽的に仕上げられるか?」なんです。

30歳~40歳台前半までは、軽快なタッチと共に、いかに鳴らすか(スタインウエイに負けない)がテーマでした。また、そういうリクエストが多かったと思います。

ある時、アンサンブル中心の先生との出会いが、大きな影響を与えました。ピアノに求めるものが全く違い、コーラスや他の楽器といかに美しくマッチする音に仕上げるか。整音のピッカーリング(ハンマーフェルトに直接針を刺し柔らかい音や深みのある音を作る)の位置や深さ、角度等かなり勉強になり、現在の音作りのベースになっています。

いろいろな方の感性に影響を受け、自身の成長があります。ピアノを弾かれる方に、こちらから音質やタッチについて提案することもよくあります。「うちのピアノはこんなもんだ」と思っておられる方がほとんどでしょうが、手の入れ方次第でかなり変わります。特に初めてお伺いする時は「さあ、どこまで仕上げられるかな?」とワクワクします。予想以上に仕上がったピアノを、喜んでくださるお客様の姿を見るのは、これまた快感です。

それから、ニューヨークで活躍されているジャズピアニストに知り合いがいて、いずれ行ってこようと思っています。自宅とある会場のピアノに、じっくり手を入れてくるつもりです。早く実現したいです。

過日、あるコンサートチューナーと語り合ったのですが、「調律は、最終的にはその人そのものが出ちゃうね」との結論。これからも、物事に前向きに、いろいろなことに好奇心を持って生きていきたい。好奇心持ち過ぎだおまえは、とよく言われますが、それこそ生きている証だと言いたいですね。



  調律中。









とにかく、根気よくいい調律師を探しましょう!




● ありがとうございます。では、ユーザーの方々へのメッセージをお願いいたします。

とにかく、根気よくいい調律師を探しましょう!

たとえば、よく行っているホールのピアノの音が、今日はすごく良かったとしましょう。それは、ピアニストがうまかったのでしょうが、きっと調律師も良かったからでしょう。ずうずうしいようですが、ホールに尋ねてみるのも方法です。ホールでは、調律師の氏名と連絡先は必ず記録しています。だから、あとで連絡をとれば、自分のピアノも見てもらえるかもしれません。

それから、知人友人宅のピアノの音やコンディションがすごくいい。こんな時も紹介してもらいましょう!

手を入れる技術者の技量やセンスでおなじピアノでも相当変わるものです。

「うちのピアノはこんなもんだ!」と思い込んでいませんか?いままで何人かの調律師が来たが、たいして変わり映えしなかった・・・のかもしれませんが、とにかくアンテナは張っていてください。

もしいい調律師が見つかったなら、今まで来ていた調律師を断る場合もあるでしょう。お金を払ってやってもらうのですから、より良い技術者を求めるのは当然の事です。断られた方は多少がっかりするでしょうが、自分の技術・技量を見つめ直すいい機会になります。どの調律師もみんな、経験していることです。

私も初めての時は、どんなピアノに会えるのか?どこまで状態を持っていけるのか?お客様にどれだけ喜んでいただけるか?と、ワクワクしてお伺いしています。

これからも、今までのお客様を大切に、そして新しい出会いを楽しみに、常に進化し続ける調律師でありたいと思っています。




【最後:2/2】


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