実は謎だった!ショパン時代の調律 ~バロック、ロマン派時代のピアノ調律~
フレデリック・フランソワ・ショパン
ピアノの森・調律工房
(埼玉県さいたま市浦和区)
森さん
みなさんがいつも聴いたり、弾いているショパンやリストのピアノ音楽。じつは、作曲された19世紀と今とではずいぶん違った響きで鳴っていました。
これは事実ですが、始めて知った方なら、きっと驚かれる方も多いのではないでしょうか。
実は謎だった! 19世紀ショパン、リスト時代の調律
当時と今の楽器の違いだけではありません。それ以外に、調律の方法が今と決定的に違っているのです。
ですから、当時、ショパンが奏でたノクターンは、同じノクターンでもずいぶん今とは趣が違っていたはずなのです。逆に言えば、今みなさんが現代のピアノで弾いているショパンの響きは、当時ではありえなかった響きだといえます。
もし今ショパンが生きていれば、こんな響きのイメージで作曲したのではないと激怒するか、反対に想像を超えた現代の響きに感銘すら受けるかもしれません。
わたしは、いつもピアノも弾きますし、調律師でもあります。19世紀、ショパンやリストの頃のピアノの響きには、興味津々です。いったいどんなふうに響いていたのだろう……? そう思うとき、わたしは満天の星空を眺めながら何か想像するように、しばしロマンチックな気分にひたります。
今回は、調律の方法の観点から、そんな19世紀のピアノの響きの謎について、みなさんにほんの扉までご案内したいと思っています。難しい理論の話は、できるだけ抜きにして。
結論から言えば、当時の調律の方法については、はっきりとわかっていません。謎のままです。ただし、おそらくこういう方法だったのではと類推できる範囲まではわかっています。
今回の記事をお読みになって、生物の進化のミッシング・リンクならぬ、調律法の進化のミッシング・リンクを発見するのは、あなたかもしれません。
ピアノとオーケストラの音程、じつは違っている(平均律と純正律)
19世紀のピアノ調律法にせまる前に、まず、現在の使われている二種類の調律法について知っていただくことから、お話を始めたいと思います。みなさんは、ピアノとオーケストラ、合唱の音程とは、厳密にいうと違っていることをご存知でしたか?
- オーケストラや合唱の音律
⇒ 調律法: 純正律 - ピアノの音律
⇒ 調律法: 平均律
確かに同じように、ド・レ・ミ と響いています。何が違う?と思われるかもしれませんが、もっともだと思います。問題は、同じドでも音の合わせ方の違いです。
音の重なりの響きは、周波数(音の波)が単純な整数比になればなるほど、人はきれいに感じます。例えば、3/2や5/4など。これらの比は単純な整数比で、きれいに響いていると感じます。
純正律は、簡単に言えば、音の間隔で3度(例:ドとミ)と5度(例:ドとソ)の音の重なりが、特にきれいに響くよう比率を整える方法です。その代わり、転調が苦手です。予め固定して決めたきれいな比が崩れてしまうためです。
私自身、若い頃初めて「純正律」に調律した時は、その透き通った音に感動した覚えがあります。また、音が柔らかく綺麗になったと感じたものです。
しかし、ピアノの調律は、上のようにふつうは平均律で調律するため、純正律という方法をつかうことは、特にご要望やこだわりがなければまずありません。
平均律とは文字通りオクターブ12個の音の音程を、均等に12等分した調律法になります。そのことで、全ての調に転調が違和感なくできます。
しかし、純正律のようなきれいな3度や5度の音の重なりにはなりません。すべての音程で、わずかな濁りが含まれるからです。
この平均律は、今では鍵盤楽器で使われる調律として常識にすらなっています。みなさんのお宅も、この平均律で調律されているはずです。
オーケストラや歌の場合は、瞬時に口の形や弦を押さえる位置を微妙に変えることによって純正な音程をつくることができるので、純正律で合わせた上で転調しても問題が生じません。
しかし、ピアノの場合は一度調律で音程を決めてしまうと、曲の途中で他の楽器のように微妙に音程を変えることができません。そのため、とりあえず平均的に合わせようということで、平均律が採用されています。
平均律はいつ頃から使われたのか
この純正律と平均律。歴史的には、純正律のほうがずっと古いです。ヨーロッパの中世からバッハの頃までは、わりと使われたようです。
では、平均律はどうでしょうか。一般には、バッハの曲で「平均律クラヴィーア曲集」というものがあり、バッハが平均律の調律法を使い始めたと言われています。しかし、どうもこのあたりから、調律について謎は深まるばかりです。
それについては、およそ次の3つのことが、音楽学者で音律の研究家によって示されています。
- バッハが12平均律の調律法を採用したと歴史書には書かれているが、バッハの時代に実際に12平均律の調律法を鍵盤楽器で採用するのは測定器や数学の発達を考えると無理。
- ショパンやリストの時代、調律はどのようにしていたか、確かなことがわかっていない。
- 平均律を鍵盤楽器で採用できる技術が確立するのは19世紀後半、つまりドビュッシーの時代になってから。
※参考文献:平島達司(著)『ゼロ・ビートの再発見』より。
調律師の間ではこの本はよく知られています。以前は音楽の書籍コーナーでよく見かけましたが、最近はあまり見なくなりました。
ショパンやリストの時代、ロマン派の調律法とは?
フランツ・リスト
この研究者である著者は、日本において、他に先駆けて平均律以外の調律について言及しました。その著作の中で、ショパンやリストのロマン派の時代は「ウェルテンペラメント」という調律法を用いていたと主張しています。
この調律法の説明には、何ページもさかなくてはなりません。一言で言うなら”平均”律ではないので、調によって違う表情が出る調律法とでも申しあげておきましょう。
「ウェルテンペラメント」の調律法についての詳細は、次の著作が参考になります。
※参考文献:高橋彰彦(著)『複合純正音律ピアノのすすめ』
もしかするとショパンやリストは自分で調律をしていた!?
調律法は、ざっくり言うと、以下のように進化してきました。
- 純正律 → 平均律
※細かくみれば、純正律以前も、純正律の時代にも様々な調律法が存在していました
しかし、上でお話してきた通り、ショパンやリスト、ロマン派の時代の調律法が、いろいろ説はありますが、証拠が欠落していて、はっきりわかっていません。
ロマン派の音楽といえば、クラシック音楽の全盛期です。今わたしたちが聴いているクラシックの大半を占めているといっても言い過ぎではありません。学校の音楽室の肖像画にも、多くの偉大な作曲家がこの時代を占めています。
しかし、それほど音楽史上重要であるにもかかわらず、彼らがどんな調律法を採用していたのか、本当は今ひとつわかっていないのです。
もし平均律が使われたのが近代以降だとすると、ショパンやリストのロマン派の時代には、果たしてどのような転調可能な調律法が使われていたのか……。
決定的な証拠がない以上、いろいろな説が考えられていて、状況証拠を積み重ねることで、これから当時の状況も見えてくるかもしれません。でも現時点では、その頃、果たして調律師という職業があったのかどうか、それすら定かではないのです。
もしかするとショパンやリストは自分で調律をしていた?!その可能性すらあります。(あくまでも、仮説の1つです)
現代のピアノ演奏では、演奏と調律は完全に分業されて、それぞれ別々の作業ということが常識になっています。
しかし、ショパンが、そしてリストやモーツァルトなどの他の偉大な作曲家も、ひょっとすると調律に関して深い理解と洞察力を持っていたのかもしれない。そう考えると、今ややもすると行き詰まり感漂うクラシック音楽が、また新たな魅力をもって私たちにの前に立ち現れてきます。
みなさまも、忙しいピアノの練習の合間の一時に手を止め、コーヒーを片手に、このミッシングリンクについて、しばし思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
【 今回の記事の執筆者 】ピアノの森・調律工房
(埼玉県さいたま市浦和区)
森さん
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